鏡天満宮と綱敷天満宮(「袖の港」附近)
「福岡」といえば「天神」と今や知らない人はないくらい知れ渡った地名となってしまいましたが、この地名の影に「鏡」がかかわっていることはあまり知られてないようで・・
今の「天神」は、以前「天神町」(てんじんのちょう)といってたところを中心にしてかなり広い範囲を指しますが、「天神町」のころまでは今の三分の一くらいの広さ。で、この一帯は、旧黒田藩・「舞鶴城」の外堀に面した湿地帯、埋立地で役所絡みの特別な建物が点在したところ。この一角に「水鏡天満宮」(すいきょうてんまんぐう)という神社があり、むろん「天満宮」というからには、かの「菅原道真公」を奉るいわゆる「天神」様、ここから「天神町」の地名が生れたのはご推察のとうりですが、じゃあ「鏡」とはどう繋がるんじゃあ・・・?
その昔、「道真公」が九州の地へご赴任(?)され、「袖港」(そでのみなと)附近に上陸後「太宰府」へ向かわれる途中で、とある川の辺にたたずまれたときに、その川の水面に写るご自分の姿をご覧になって、
「なぜわたしは、このような不運な目に遭わねばならぬのか・・」
とお嘆きになったその所を、土地の人が哀れに思って「水鏡天満宮」としてお奉りしたのですが、この場所は、多分今の「博多区」の南部の「那珂川」(なかがわ)の上流かその支流の一角と思われますが、後に「黒田藩」の藩主「黒田長政公」が今の場所へお移しになったのが始り。
「水鏡」とはいえ「鏡」が今日の「福岡」の隆盛に繋がっておるとは・・・(ということで、ん?)で、とはいうもののこの話は「福岡・黒田藩」のこと、わが「博多」としても負けちゃ居られんと探したら(探さんでも昔からあるとですが)ちゃんとありました。
その名は「鏡天満宮」(かがみてんまんぐう)。
これと、「袖港」は庚午話で。
(・・・なんだけ、早ようしちゃんなっせえ、忙しかっちゃけん・・・)